生き辛い職場でも使える「あ、そうなんですか」は魔法の言葉
あんまり「ナメる」とか「ナメない」とか、
チンピラみたいな物言いは好きではない。
しかし、今回はあえてそれを使う。
あなたは「ナメられてる人間」ではないだろうか。
かくいう自分も「この人になら何を言っても大丈夫だろう。」
そう思われているのだろうなという事もあれば、
自分がそんな物言いをしていたな、と反省することもしばしばある。
思うに、ナメられてる人間、というのは接する人によって
それぞれ違っているのではないだろうか。
複雑に絡み合う人間関係の中で、この人にはナメられているが、
この人はナメているのかもしれない、みたいな感じで
けして個人に属性付けされたものではなく、流動的なものだと思う。
つまり、誰しも「ナメられる」リスクはあるのである。
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世の中にはコミュニケーションが下手な人がいる、
誰に対しても不躾に、無遠慮に、人の入ってほしくない所まで
土足で踏み込んでしまうような類の。
そういった人は残念なことに此方から伝えなければ
そこが逆鱗だという事も知らずにナメ続ける、
そういう生き方しかできないのだ。
趣味のコミュニティなら、心配しなくても
その行いを続ける人間はいずれ消える、淘汰される(まともな所なら)
しかし、職場では上からの勅令がない限り状況を変えることは出来ない。
そう、他人を変えることは出来ない。
それならば、自分が変わるしかないのだ。
不快なことは不快と伝えなければ、彼ら彼女らはわからない
何故なら、コミュニケーション能力が赤ちゃんなのだ。
赤ちゃんに理性を求めるのはどだい無理な話なのである。
かと言って、社会生活で喧嘩を売るような言動をするのは馬鹿らしい。
怒った瞬間こちらはスッキリできるかもしれないが、
コミュニケーション赤ちゃんは被害妄想が得意なパターンが多く
自らに悪影響があることも考えられる。
そこで私は提案したい、
コミュニケーション赤ちゃんの雑な発言には
「あ、そうなんですか」と返そう。
「あ、そうなんですか」には3つのメリットがある。
- 最低限無礼ではない。
この「無礼ではない」というのがポイント、
ぶっきらぼうな言い方だと赤ちゃんは傷ついて泣いてしまう。
また、レスポンスが返ってこないと赤ちゃんはご機嫌斜めになる。
そのため、最低限無礼ではない返答をする。
これが、赤ちゃんの気持ちを逆撫でしないというメリットを生む。
- 赤ちゃんは次の言葉に困る。
コミュニケーションが下手な赤ちゃんは、
最初からあなたと「会話」をする気は無い
ひとしきりバブってオギャりたいがためにあなたを利用するのだ。
そのため、赤ちゃんから振った流れが途切れた時の
次善の策を考えていないことが多い。
そのため、いったん会話を切れば赤ちゃんは去っていくのである。
その点において「あ、そうなんですか」に返せる言葉を考えてほしい。
「そうだよ」→会話が終わる
「そうなんですかじゃねーよ!」
→見事な逆切れである、赤ちゃんを加害者にできる好機
「その理由はね~~~」
→くだらない絡みの解説をさせることが出来る。赤ちゃんは死ぬほど恥ずかしい。
そう、自分の考えうる限りにおいて
赤ちゃん側の動きをある程度封じることが出来るのである。
(たまにとんでもないレスポンスから独自の理論を展開する
トリッキーな赤ちゃんがいるが、それはもう対処不能である。)
これは、赤ちゃんのムーブを阻害するというメリットを生み出す。
- 赤ちゃんに若干の痛みを負わせる。
これが大事である、
痛みのない指導に意味がない等と言うつもりは勿論ないが
痛みのある制裁がより記憶に残るのは確かであると思う。
赤ちゃんも子供とはいえ生き物だ、
本能的に痛みを受けたものには寄り付かなくなる。
そうやってサボテンは進化を遂げてきたのだ。
(サボテンを食べるよう進化を遂げた動物がいるが、
そういった存在は基本的に諦めるものとする、天災のようなものだ。)
人間だれしも自分の思い通りの展開にならない時は
ストレスが発生するものだ。
そして、②に紹介したように赤ちゃんは
この「あ、そうなんですか」に対してストレスの発散が難しい。
そのため、内に溜まったストレスは赤ちゃんの精神を蝕んでいく。
赤ちゃんを傷つけるのではない、内から崩壊させるのだ。
そうして痛みを知った赤ちゃんは
変わった性癖をお持ちでない限り、あなたに近寄る頻度は減るだろう。
これらのメリットから、私はコミュニケーション赤ちゃんと遭遇した際に
「あ、そうなんですか」を頻発するようになった。
職場や付き合いで不快な思いをした時には是非使ってほしい。
赤ちゃんの行いを正してあげるのは、我々大人の責任かもしれないのだから。