えぼぐの神様N

犬神 ―永久に寄り添う呪物― ( 北陸オカルト会:妖怪解説 )

昼市は今日も喧騒に包まれている。

野菜を売る者、繊維を売る者、それを買う者…

濃縮された需要と供給の交差の中、その女は市場の隅にいた。

 

土に汚れた紅白の巫女服、昼市には場違いな格好をした女の周りは

まるで結界でも張ってあるかのように無人である。

 

大皿程度の籠を持ち直立する彼女は、時折何かを呟きながら籠を左右に振る。

その度に籠の中の白い粒はざざ、と木目を流れた。

 

異様な光景に関心を持った私は彼女へと歩み寄る。

そして、漸く彼女が何を言っているのか理解した。

 

「犬神、犬神様はいりませんか…」

 

言葉の意味がわからないまま、籠の中の物を覗いた私は思わず短い叫び声を上げる。

籠の中一杯に入っていたのは、乾燥した蛆虫であった。

 

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犬神と白児

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若い犬を頭だけ出して土に埋める、子犬ではいけない、成犬が良し。

それをしばらく放置し、餓死寸前まで衰えた犬の前に新鮮な肉を置く。

 

飢えを満たそうと首を振り、届かない距離に半狂乱になる犬の首を刀で切ると

その首は飛んだ後に執念で肉に喰らいつき、息絶える。

 

その死骸を焼き、骨を祀れば儀式は終わる、

犬霊は犬神となり主の願いを永遠に叶え続けるのだ。

 

「人間に憑依し、主の願いを叶える呪物」というのがこの妖怪が持つ根本的な特徴である。製造方法が製造方法だけに猿の手の如くロクな願いの叶え方をしない物だと思いきや、犬神は割と誠実に事に取り組んでくれるようだ、祀られている限りは。

 

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また、犬神は血筋に憑く。

憑依した人物が死んだとしてもその子、孫の世代へと

その血筋が続く限りは永遠に主の血筋に仕え繁栄をもたらし続ける。

 

その為、田舎町に不釣り合いな豪邸を持つ一族などは

「犬神憑き」等と在らぬ噂を立てられる事もあったという。

 

それが本当に在らぬ噂なのかどうかは置いておいて、

人が人を妬むための言い訳に呪物が引き合いに出されるというのは

なんというか、本末転倒な気がするのだ。

 

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ちなみに、冒頭の話…首を切った犬の死体に沸いた蛆を乾燥させ

それを巫女が「犬神」として売っていたというのは実話であり、

大分県速水郡山香町で行われたとされている。

 

調べてみた所、速水郡山香町の発足は1950年

つまり、終戦後の時分にも犬神を本気で信じ

有難がって蛆虫を買う人間が存在していたという事になる。

 

犬神信仰は、どうやら近代までかなりの影響力を持っていた物と考えられる。

 

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・追記

 

犬神の事を調べている中で、福井県敦賀市

犬神に関する記述が残されているのを見つけた。

と言っても、直接犬神に関係があるわけではない。

 

曰く、敦賀には犬神人(当時の被差別階級の名称)がおり、

神社の境内の掃除をする代わりに端不組の筵を売ることを許されていた、という。

 

端不組の筵?

 

ミミクマズのむしろと読むらしい、筵はつまり敷物の事である。

ではミミクマズとは?調べてみる。

 

しかし、検索結果は1件、犬神に関する記事のみで

ミミクマズについては何の結果も出てこなかった。

 

筵、ということだから「ミミクマズ」は何らかの素材なのであろう。

 

獣の皮?珍しい植物?とも考えたが、

犬神人が獣皮や植物の加工をやっていたという文献は見つけられなかった。

 

一方で気になる文献を見つけた。

曰く、犬神人は一時期、遺体の移動や火葬などを一手に引き受けていたという。

そんな彼らが一番手に入れやすい筵の材料とは、材料とは。

 

…これ以上は考えないことにした。